嵐山の渡月橋の下を流れる川の名前は
大堰川、正式には桂川です。
調べていると
桂川・大堰川・保津川
と3つも名前が出てきて、どれが正解なのか迷いますよね。
結論から言うと
この3つはぜんぶ同じ1本の川です。
流れる場所が変わるたびに呼び名も変わるので、どれを使っても間違いではありません。
まずは呼び名の全体像を表で押さえておくと、あとの話がすっと入ります。
| 呼び名 | 読み方 | どのあたり | よく見かける場面 |
|---|---|---|---|
| 桂川 | かつらがわ | 渡月橋より下流 (正式名称は全区間で桂川) | 地図 河川の看板 水位・防災の情報 |
| 大堰川 | おおいがわ | 渡月橋の前後 (嵐山の景色の部分) | 観光案内 屋形船・鵜飼 昔の和歌 |
| 保津川 | ほづがわ | 亀岡から保津峡の谷 | 保津川下り ラフティング |
- 渡月橋の下を流れる川の呼び名と正式名称
- 桂川・大堰川・保津川の関係と読み方
- 呼び名が切り替わる目印になる場所
- 1本の川に名前がいくつもある理由と大堰川の由来
- 場面ごとにどの名前を使えば間違いにならないか
- 名前を知ったうえで楽しめる嵐山の船と景色
嵐山を流れる川の名前は桂川で渡月橋のあたりだけ大堰川に変わります

渡月橋の下を流れる川の名前は大堰川で正式には桂川です
渡月橋の下を流れている川は
地元や観光案内では大堰川と呼ばれ、地図や行政の書類では桂川と書かれます。
どちらも同じ水の流れを指しているので、言い方が2つあるだけです。
正式なほうは桂川で、淀川水系の一級河川として国が管理しています。
明治29年に河川法ができたときに、流域でばらばらだった呼び名が桂川ひとつに整理されました。
ただ、整理されたのは書類の上だけで、住んでいる人の口はそのままだったわけです。
だから今でも嵐山では大堰川、亀岡では保津川という呼び方が普通に生きています。
京都府や京都市が出す文章でも、話題に合わせて3つの名前を使い分けているくらいです。
実際に渡月橋のたもとに立つと、河川管理の看板には桂川、近くの観光の案内板には大堰川と書かれていて、初めて見た人が混乱するのも当然の状態になっています。
- 書類・地図で正しいのは
桂川(かつらがわ) - 嵐山の景色を語るときは
大堰川(おおいがわ) - どちらを使っても
間違いにはならない
迷ったときは桂川と言っておけば、どこでも通じます。
保津川と大堰川と桂川はぜんぶ同じ1本の川です

保津川も大堰川も桂川も、源流から大阪湾までつながった同じ1本の川の、区間ごとの呼び名です。
別々の川が合流しているわけではないので、地図をたどれば1本の線でつながります。
始まりは京都市左京区の広河原、佐々里峠のあたりです。
そこから京北を西へ横切り、南丹市の日吉ダムを経て亀岡盆地へ南下します。
亀岡から先は山あいの谷に入り、これが保津峡です。
谷を抜けて視界が開けたところが嵐山で、渡月橋をくぐると京都盆地をゆったり南へ流れていきます。
その後は伏見のあたりで鴨川と合わさり、大阪府との境で宇治川・木津川と一緒になって淀川となり、大阪湾へ出ます。
全長はおよそ114キロメートル、流域面積はおよそ1,152平方キロメートルの、京都を代表する大きな川です。
上流から順に並べると、呼び名の入れ替わりはこうなります。
| 場所 | 呼び名 | 目印になるもの |
|---|---|---|
| 京北から源流 | 上桂川 | 山あいの細い流れ |
| 南丹市の園部あたり | 桂川 | 田畑の広がる平地 |
| 八木から亀岡 | 大堰川 | 亀岡盆地 |
| 亀岡から保津峡 | 保津川 | 保津橋 川下りの乗船場 |
| 嵐山の渡月橋前後 | 大堰川 | 渡月橋 屋形船とボート |
| 渡月橋から下流 | 桂川 | 松尾大社 桂の町並み |
大堰川という名前が2回出てくるのがややこしいところです。
もともと亀岡から嵐山までのひとつづきを大堰川と呼び、そのうち谷になっている部分だけを保津川と呼び分けてきた
という重なり方をしているためです。
ひとつの川にこれだけ名前があるのは全国でもめずらしく、それぞれの土地の暮らしがそのまま名前に残ったからだと言われています。
大堰川はおおいがわで保津川はほづがわと読みます
大堰川はおおいがわ、保津川はほづがわ、桂川はかつらがわと読みます。
読み方でつまずきやすいのは、やはり大堰川です。
| 表記 | 読み方 | まちがえやすい読み |
|---|---|---|
| 大堰川 | おおいがわ | おおぜきがわ だいえんがわ |
| 保津川 | ほづがわ | ほつがわ ほうづがわ |
| 桂川 | かつらがわ | けいせんがわ |
| 葛野川 | かどのがわ | くずのがわ |
堰という字はふつう「せき」と読むので、おおぜきがわと読んでしまう人がとても多いです。
川をせき止める堰があった場所なので意味としては近いのですが、読みは昔から「おおい」で定着しています。
保津川のほうは「ほつがわ」と濁らない読みも古い辞書には載っていて、どちらでも通じます。
船頭さんや地元の人はほづがわと濁って言うことが多いので、現地ではそちらに合わせると自然です。
呼び名が切り替わる目印は渡月橋と保津峡の入り口です
呼び名の切り替わりは
渡月橋と保津峡の入り口の2か所で覚えておくと、どの説明を読んでも迷いません。
じつは、この境目の説明はサイトによって少しずつ食い違っています。
渡月橋より上流はすべて大堰川と書くところもあれば、渡月橋の一帯だけが大堰川で、その上流はもう保津川だと書くところもあります。
亀岡に入った時点で大堰川と呼ぶ、という整理をしている資料もあります。
複数の案内を読み比べてみると、書き方はきれいに割れていて、どれかひとつが正解という状態ではありません。
通称は法律で線を引いたものではなく、地元の人の呼び習わしがそのまま残ったものなので、境目がぼやけるのは自然なことです。

そのうえで、いちばん多くの案内で一致しているのが渡月橋の線です。
- 渡月橋より下流は桂川
- 渡月橋より上流で嵐山の景色の部分は大堰川
- さらにさかのぼって谷になっているところは保津川
この3段で覚えておけば、現地でも会話でもまず困りません。
保津川に切り替わるほうの目印は、亀岡の保津橋から下流で山が両側から迫ってくるあたりです。
川下りの船に乗ると、乗船場を出てしばらく田園が続き、やがて岩と木立に囲まれます。
景色が谷に変わったところが、感覚としての保津川の入り口です。
境目をきっちり決めたい気持ちはわかりますが、地元でもゆるく使い分けているくらいなので、目印で覚えるのがいちばん実用的です。
大堰川という名前は秦氏が築いた葛野大堰から生まれました
大堰川という名前は
渡来系の一族である秦氏がこのあたりに築いた葛野大堰という大きな堰に由来します。
堰とは、川の流れをせき止めて水位を上げ、水を田んぼへ引き込むための仕掛けのことです。
京都盆地に入ってからのこの川は、古くは葛野川と呼ばれていました。
当時は洪水がとても多く、まわりの土地は農地として使いにくい場所だったようです。
そこへ5世紀の後半ごろ、嵯峨や松尾のあたりに移り住んだ秦氏が、大きな堰を築いて流れをおさえました。
水があばれなくなったことで一帯が豊かな土地に変わり、その堰の名がそのまま川の名になったというわけです。
平安京がここに置かれた背景にも、この治水があったと言われています。

秦氏が築いた当時の堰そのものはもう残っていません。
それでも渡月橋の少し上流には今も堰があり、川面に段差ができているのが橋の上からよく見えます。
川下りの船がこの堰から先へ下れないのも、ここで流れがせき止められているためです。
もうひとり、この川の名前と切り離せないのが江戸時代の商人、角倉了以です。
1606年に保津峡の岩を削って舟が通れるようにし、丹波の木材や米を京へ運ぶ道を開きました。
この舟の道が、今の保津川下りの原型になっています。
大堰川という名前は平安時代の和歌にもたびたび登場し、貴族が舟を浮かべて遊んだ場所としても知られていました。
今の嵐山で屋形船が浮かんでいる風景は、千年以上前とほとんど同じ楽しみ方だと考えると、少し見え方が変わります。
嵐山で川の名前を覚えると保津川下りも船遊びも景色の見え方が変わります

保津川下りは亀岡から約2時間かけて渡月橋のそばに着きます
保津川下りは亀岡の乗船場から嵐山まで約16キロを2時間ほどかけて下り、渡月橋のすぐそばに着きます。
まず押さえておきたいのは、乗り場が亀岡にしかないことです。
嵐山側にあるのは降りる場所だけなので、嵐山から乗ることはできません。
乗船場はJR亀岡駅から歩いて10分ほどの、保津橋のたもとにあります。
料金は大人6,000円、子ども4,500円で、1隻の定員は24名です。
身長80センチ未満の子どもは乗れない決まりなので、小さな子ども連れなら先に背を測っておくと当日あわてません。

川下りの基本をまとめると、こうなります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 区間 | 亀岡の乗船場から嵐山まで およそ16キロ |
| 所要時間 | およそ2時間 水の量で前後する |
| 料金 | 大人 6,000円 子ども 4,500円 |
| 定員 | 1隻24名 水量で変わる場合あり |
| 乗れない人 | 身長80センチ未満 |
| 雨の日 | 舟にテントを張って運航 暴風雨と増水では中止 |
おもしろいのは、保津川下りという名前なのに、着く場所は呼び名でいうと大堰川にあたる点です。
谷の区間を保津川、嵐山に出たところを大堰川と呼び分けてきた名残が、そのまま船の名前に残っているわけです。
舟は渡月橋の少し上流にある堰から先へは下れないため、着船場は必ず橋の手前になります。
降りたあとはJR嵯峨嵐山駅まで歩いて15分ほどで、そのまま嵐山の散策に移れます。
行きに嵯峨野トロッコ列車で亀岡へ向かい、帰りに舟で嵐山へ戻る回り方にすると、同じ谷を高い場所と水面の両方から見られます。
渡月橋の上流の大堰川では屋形船と貸しボートで水面に出られます
渡月橋の上流に広がる大堰川では
屋形船と手漕ぎの貸しボートで水の上に出られます。
乗り場は渡月橋の両岸にあり、北側と南側のどちらからでも出られます。
屋形船は船頭さんが竹竿1本で上流へさかのぼり、乗った場所まで戻ってくる形です。
進む範囲は渡月橋から上流におよそ1キロ、山あいの嵐峡と呼ばれるあたりまでです。
手漕ぎのボートは3人ほどが乗れて、自分たちのペースで漕げます。
水面から見上げる嵐山は、橋の上から眺めるのとは高さも音もまるで違います。
夏には鵜飼の見物船も出ます。
かがり火をたいた舟が近づいてきて、鵜が魚をとる様子を間近で見られる、千年ほど続いてきた漁のかたちです。
料金や出船の時間は乗り場の窓口に出ているので、渡月橋を渡ったついでにのぞいておくと一日の予定が立てやすくなります。
大堰川で楽しめる船は、大きく3つに分かれます。
- 屋形船
船頭さんが漕いでくれる和船。
座って景色を眺めたい人向き - 貸しボート
自分で漕ぐ手漕ぎ舟。
好きな場所で止まって写真を撮れる - 鵜飼の見物船
夏の夜だけ。
かがり火と鵜の動きを水上から見る
どれも渡月橋のすぐそばから出るので、嵐山の散策の合間に組み込みやすい遊びです。
地図と看板と船会社で川の名前が食い違って見えるときの読み分け
- 地図は桂川
- 船会社は保津川
- 観光案内は大堰川
と、書く人の立場によって呼び名が変わっているだけです。
どれかが間違っているわけではありません。
場面ごとに整理しておくと、現地で表記がぶつかっても迷わなくなります。
| 場面 | 使う名前 | 理由 |
|---|---|---|
| 地図で位置を探す | 桂川 | 行政の表記が桂川で 統一されている |
| 水位や災害の情報 | 桂川 | 河川の管理も 桂川の名前で行われる |
| 川下りの話をする | 保津川 | 谷の区間の呼び名が そのまま船の名前 |
| 嵐山の景色を語る | 大堰川 | 渡月橋まわりの 昔からの呼び名 |
| 和歌や古い絵の話 | 大堰川 | 平安の頃から この名で詠まれてきた |
いちばん差が出るのは、水位や災害の情報を調べるときです。
川の水位やハザードマップは桂川の名前でしか整理されていません。
大堰川で探すと目的の情報にたどりつけないので、そこだけは桂川で調べると一発で出ます。
逆に、嵐山の風景や昔の舟遊びの話をするなら、大堰川のほうが場になじみます。
写真の説明やSNSに書くだけなら、桂川と書いておけばどこでも通じます。
嵐山らしさを出したいときだけ大堰川を選ぶ、くらいの使い分けで十分です。
地元の人でも場面によって言い分けているので、正解をひとつに決めようとしなくて大丈夫です。
嵐山の川の名前でよくある質問
川の名前まわりで気になりやすい細かい点を集めました。
嵐山の川で正式名称はどれ?
桂川です。
明治29年に河川法ができたときに、流域でばらばらだった呼び名が桂川ひとつに整理されました。
大堰川と保津川は、その土地で使われ続けている通称という位置です。
渡月橋の名前の由来は?
鎌倉時代の亀山上皇が、満月の夜に舟遊びをしたときに詠んだ言葉が元になっています。
月が橋の上を渡っていくように見えたことから、渡月橋と呼ばれるようになりました。
最初に橋が架けられたのは平安時代で、今の橋は昭和9年に完成したものです。
桂川はどこで鴨川と一緒になる?
京都市伏見区の下鳥羽のあたりです。
そこからさらに南へ流れ、京都と大阪の境の大山崎付近で宇治川・木津川と合わさって淀川になります。
嵐山で見ている水も、最後は大阪湾まで届いています。
大堰川で水遊びはできる?
川原に下りて水辺で過ごしている人はたくさんいます。
ただ堰の前後は流れが強く、急に深くなる場所もあります。
足を浸すくらいにして岸の近くで過ごすと、のんびり楽しめます。
まとめ:嵐山の川の名前は正式には桂川で渡月橋の前後だけ大堰川と呼ばれます
嵐山の川の名前は
正式には桂川、渡月橋の前後だけ大堰川と呼ばれます。
さらに上流の、山にはさまれた谷の区間が保津川です。
3つとも源流から大阪湾までつながった同じ1本の川なので、どれを使っても間違いにはなりません。
迷ったときの決め方は、場面で選ぶだけです。
- 地図や水位を調べるとき
桂川 - 嵐山の景色や舟遊びを語るとき
大堰川 - 亀岡からの川下りの話をするとき
保津川
この3つを頭に入れておけば、現地の看板とネットの表記が食い違っていても戸惑いません。
次に渡月橋に立ったら、上流側の水面に目を向けてみてください。
木の杭が並んだ堰が見えたら、そこが千五百年ほど前から川の名前の元になっている場所です。